もともとエレクトリック・マイルスは苦手だった。意味がわからん。ずっとそう思ってきた。
前回の文庫版「マイルスを聴け!2001」に扇動され洗脳され、エレクトリック時代の諸作品を聴きあさってみた。ところが、苦いものはやはり苦い。克服しようという意思も続かず、やがて聴かなくなってしまった。 今回、「マイルスを聴け!Version6」を読んでいるうちにまたまたノセられ、エレクトリック・マイルスを聴いているが、口当たりはあまりよくない。 聴いてみて気持ちよくなければ、縁がなかったものとして諦めればいいのに、なぜ執着するのか。 それは訓練すれば好みが変わると信じているからである。 例えば、タバコ。中学時代に見栄を張って吸ってみた。うまいわけがなく、気分が悪くなった。それでも見栄を張りつづけた。気がつくと離れられなくなっていた。(時効ですよね?) 例えば、JAZZ。ロックを聴いていたが、それでだけでは飽きたらず、見栄で聴いていた。最初のうちは、こんな音楽のどこがいいんだろうとしか思えなかったが、これまた気がつくと離れられなくなっていた。(未だに駄耳ですけど) 例えばウイスキー。この液体のどこにおいしさを感ずればいいのか。あんなもん、ビールに足してアルコール度を高めるためのサプリメントじゃん。ところがここ数年、あの香りに魅力を感るようになってしまった。(でもやっぱり、ビール派です) こういった経験があるので、我慢して聴いていればその先にパラダイスがあるのではないか、という思いが消えない。 それに、著者の煽りかたも上手い。中山康樹の他の著作として「ディランを聴け!!」「これがビートルズだ」「ビーチ・ボーイズのすべて」など、同じ路線のものがあるが、それらが冷静なトーンで書かれているのに対して、ここには現在進行形の熱意がある。そんなにいいのならわかるまで聴いてやろうじゃないか、と熱意が伝染してしまった。 ただ、これは好みではなく、センスの問題かもしれないという不安もある。つまり、マイルスをわかるにはセンスが必要なんじゃないか。いくら聴きこんでもわからない奴にはわからないんじゃないか。 例えば、笑いのセンス。フットボールアワーの漫才のどこが面白いのか、説明してくれと言われてもできない。絶望的な気分になる。何で笑うかは人それぞれだ。それが学習して変化するとは思えない。 この比喩があてはまるとしたら、いくら聴いても無駄ぢゃないか。 そんな風に悩みながら聴くのも、音楽の楽しみかたの一つなのかもしれない。 と開き直って、もうちょっと聴き続けてみよう。
by beertoma
| 2004-10-06 02:36
| 音楽(JAZZ)
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