ソラリス〈特別編〉
/ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン ソラリス (2002) SOLARIS 監督:スティーヴン・ソダーバーグ 原作:スタニスワフ・レム 脚本:スティーヴン・ソダーバーグ 出演:ジョージ・クルーニー、ナターシャ・マケルホーン、ジェレミー・デイヴィス 非常に面白く拝見いたしました。でも、面白くないという意見も見かけます。 せやよってに、かなりのネタバレとなりますが、どこが面白かったのを述べてみます。 この映画の原作「ソラリスの陽のもとに」を書いたのは、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムという人です。彼の作品はこの原作と「砂漠の惑星」「エデン」の3作を読んだのみ、しかも15年くらい前のことなので、記憶があやふやなところもありますが、面白い考え方をする人なので(ご存じない人のために)紹介してみます。 「ソラリスの陽のもとに」が発表されたのは1961年。その序文で著者は次のようなことを言っています。 SF小説が描く人間と宇宙人との関係は、人間と人間との関係を投影したものにすぎない。相互理解するか、戦争するかである。だが、地球外生命がいたとして、彼らが独自の文明を持っていたとして、それが人間に理解できるものであるとどうしていえるのか。ホワイ? そんなわけで、彼の作品では、人間がどこかの惑星に出かけていって、そこで宇宙人らしきものに遭遇するのですが、それだけで終わります。攻撃したり・されたりもないですし、意思の疎通もありません。けったいな生き物らしきものがけったいな文明らしきものを築き上げているのを観察して、「なんじゃこりゃ、なんじゃこりゃ」と言うだけです。(そうじゃない作品もあるようですが) 惑星ソラリスの生命体は海です。この海の得意技は人間作成です。近づいてきた人間の頭の中を探り、そこに存在する人物を作り出すのです。 主人公の場合、頭にあるのは死んだ妻のことですから、宇宙ステーションに突如、彼女が現れるのです。 たまりません。いや、彼はずっと会いたいと願い続けてきたのですから、たまるのかもしれません。 こういう不思議な話が好きだというのが、この映画を気に入った理由の一つです。 ここで、「マインズ・アイ」(D・R・ホフスタッター、D・C・デネット編著 TBSブリタニカ)という本の序章に書かれていた話を紹介します。(いちおう断っておきますが、この本を全部読んだわけではありません。難しい本なんです) 原子のレベルでコピーが出来る機械があったとします。子機に物体を入れると親機の中にそれと全く同じものがコピーされます。子機は物体をスキャンしてその原子の情報を親機に送信、親機は原子の貯蔵タンクを備えていて、送られてきた情報をもとに複製を作るのです。子機と親機を離れた場所に設置することも可能です。 さて、今あなたは火星にいます。宇宙船は壊れてしまったので地球に帰ることは出来ません。あなたは死を待つばかり。超ブルーなシチュエーションですね。 あ、そうだ。子機があった。 あなたは子機の中に入り、スイッチを押します。地球にある親機の中に、あなたと全く同じ人間が出来上がりました。もちろん記憶も何もかも、コピーした瞬間のあなたです。 もし自分がコピーの方だったとしたらどんな気持ちでしょうか。 といった内容です。 私はこういったことを考えるのが好きなので、ここから、「もし自分の愛する人のコピーが残った場合、同じ気持ちで接することができるのだろうか」などと楽しく悩みました。 この映画で、(海によって作りだされた)妻が、自分がコピーであることを知る場面があります。そのときの彼女の嘆きを見たときに、この話を思い出したので深く感情移入してしまいました。 というわけです。 レムの宇宙観が好きなこと、妻に深く共感できたこと、以上2点が、この映画を気に入った理由です。 ただ、「ジョージ・クルーニーと宇宙」はミスマッチという気がします。「ひとまねこざると宇宙」くらいミスマッチです。
by beertoma
| 2005-01-12 01:10
| 映画
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