ララミーから来た男 (1955)
the Man from Laramie 監督:アンソニー・マン 原作:トーマス・T・フリン 脚本:フィリップ・ヨーダン、フランク・バート 撮影:チャールズ・ラング・Jr 出演:ジェームズ・スチュワート、アーサー・ケネディ、キャシー・オドネル、ドナルド・クリスプ ソフトな西部劇。 通りすがりのよそ者(=ララミーから来た男)が町の実力者の横暴を正すというストーリーは西部劇の王道をいくもので、通常の場合だと、物語が進むにつれ対立が深まり、つまり観客の悪役に対する憎しみが増大し、最後の対決で BANG!BANG!BANG!、仇役がドサリと崩れ落ちて一件落着、となるはずである。 ところがこの作品では、途中の小競合いはあるもののラストでの鬼退治シーンがない。主人公が直接手を下さずとも鬼のほうで勝手に滅んでしまうのである。 クライマックスでの天下分け目の戦いが存在しないというのが、ソフトな印象を与える理由その一。 理由のその二は、主人公の乗る馬がギャロップで駆けていくシーンである。これが定期的に挿入されている。 町外れの牧場に出かけるといってはタッタカタッタカ、牛を追うために山の中に入るといってはタッタカタッタカ、ドラマの緊張を和らげるかのように駆けていく。しかも鞍上はあのミスターのんびり顔のジェームス・スチュワート。生きとし生けるものを癒してしまわずにはおかないあの表情が、馬に乗って映画の中を定期的に巡回しているのだ。 これでは観る側も「対決」「決闘」といった気分にはならない。見終わった後には頭の中に柔らかさだけが残る。 不思議な気分にさせられる作品である。 なお、監督のアンソニー・マンについては アンソニー・マンは斜面を描く天才だったわけですね。斜面に人間をすえて、そしてそれを俯瞰する、あるいはそれをやや仰角でとらえる、これがアンソニー・マンの空間の根本的な形式であるように思います。 蓮實重彦「ハリウッド・フィフティーズは無念さの領域に位置づけられる」(『シネ・クラブ時代』淀川長治・蓮實重彦編、フィルム・アート社、P.53) といわれているが、たしかに斜面の映像には特徴があった。 特に仰角の映像。長く見続けていると酔って気分が悪くなりそうな、不思議な映像であった。
by beertoma
| 2005-04-25 04:31
| 映画
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