『世紀末のプロ野球』 草野 進

世紀末のプロ野球
草野 進 / 角川書店
ISBN : 4041658012

初版の発行日は 1986年7月25日。著者については、「草野進=蓮實重彦」説や「草野進=蓮實重彦+渡部直己」説などがある。内容はプロ野球についての批評集。
80年代のプロ野球について書かれているので、当然、登場する固有名詞は懐かしいものばかり。

私はマゾではないつもりですが、この本を読んでいるとこれまでのプロ野球の見方が否定されて、なぜか気持ちよさを感じてしまいます。
タイガースが優勝争いに参加している今、盲目的に応援してぐったり疲れている今、少しでも頭を冷やすのにピッタリの本です。
阪神の試合についてはとてもこのような見かたはできませんが、それ以外の、結果の気にならない試合の場合には、応用してみたいという気にさせられました。


阪神・日ハム戦を観にいったときのことを思い出します。内野ゴロでベースカバーに走る外野手の動きや、3アウトになった瞬間に守っていた野手たちがいっせいにベンチへと向かう動き、に魅せられてしまいました。あそこにも美しさがあると思います。
(競馬場の正面スタンドで感じる、本馬場入場してきた馬がスタート地点へと走っていくときの美しさも、似ているような気がします。)


素晴らしい本やよってに、ほんでから品切れやよってに、ぎょうさん引用させてもらいました。おおきに、すんまへん。


<著者のプロ野球についての考え方>

・贔屓(ひいき)のチームを持つな
「だがそれにしても贔屓を持つってことは、自分の醜さと限界とを素直に告白するようなものではないか。スポーツの魅力は、まさにそんな醜さと限界を華麗に忘れさせてくれることにある。」(P.136)

・「贔屓チームが勝てば満足」という見方はダメ
「何とも悲しいのは、多くの人が、麻薬のような物質としてプロ野球をみなしていることである。勝たねばならぬもの、高率を残さねばならぬもの、面白くなければならぬものとしてのプロ野球。だが、プロ野球とは、ものではなく、あくまで運動ではないか。われわれが愛するのは、物質としてのプロ野球ではなく、動きとしてあるベースボールなのだ。高校野球よりも、大学野球よりも、実業団野球よりもプロ野球が好きなのは、そこでの動きが圧倒的に高度な美しさを描き出してくれるものだからなのである。」(P.156-157)

・テレビではなく球場で観戦せよ
「プロ野球が好きならば球場にかけつけ立見を覚悟で試合を観戦せよ。」(P.158)

「テレビ中継の単調さは、勝負の推移をひたすら視覚的にしか伝達しようとしない点に有する。球場ではあらゆる感覚が総動員される。」(P.137)

「たとえば、二死ランナー一、二塁での右中間のライナー性の一打。そんな光景を球場で目にした者なら知っていようが、そのとき両チームの選手たちは、野手はいうに及ばず、ベンチの監督やひかえの選手までが総立ちになる。ボールを追う外野手、中継に走る内野手、塁上をかけぬける走者、右手をまわす三塁コーチ。バックアップに走る投手。審判たちも目まぐるしく動きまわる。ランナーをホームで殺すか打者走者を二塁で殺すかの瞬間的な判断。
ほんの十数秒ほどのうちに起るこの複雑な動きを、一目で把握しうる瞳(め)というものは存在しない。 (略)
われわれがプロ野球に求めているのは、こうした瞬間的で複雑な運動である。 (略)
ところがテレビという奴は、この把握不能の事件の現場から見るべき細部だけを切り取って、これに注目せよと強要しにかかる。」(P.160-161)

・プロ野球は単調なスポーツである
「そもそもが野球とは単調なスポーツなのだ。そのことを容認しない限り、ピッチャーはとても完投などできないだろう。ホームベースをめがけて百数十回ボールを投げる。プロ野球の観客たりうる資格の第一のものは、正常な神経の持主にはとても我慢なるまいこの途方もない単調さに苛立たぬことである。
もちろん、その単調さは破られはする。だが、ほんの一瞬、それもあっけないやり方で破られ、あとにはまた同じ単調さが支配する。その意味で、ハイライトシーンだけからなるテレビのプロ野球ニュースほど反ベースボール的なものもまたとあるまい。あれは、そもそも選手たちが自分の姿を見るための番組なのだ。そして今日もまた一日単調さに耐えぬいた彼らだけが、それを見る資格を持っているのである。」(P.59-60)

・プロ野球好きはほんの一瞬のために球場へ出かけていく
「しかし球場で演じられるゲームは、そんな錯覚をさわやかに正当化してくれる。そこではひたすらボールが飛び、人が走るだけである。あるいは飛ばすまい、走らせまいとする意志が球場にみなぎる。走ろうとする意思と走らせまいとする意思がとがしばらく抵抗しあう。何ともこたえられないのは、その均衡が不意に破られる瞬間だ。そしてそれが新たな均衡に達するまでのほんの一瞬の無秩序のために、われわれは球場にでかけてゆくのだ。
勝ち負けならテレビを見ていてもいいし、翌朝のスポーツ新聞を読んでもよい。だが、一つの均衡から次の均衡への唐突な移行の予期しえぬエロチシズムは球場の雰囲気に全身をさらさないと絶対に体験できない。 (略) プロ野球が好きだというのは、そうした空間への官能的な愛着にほかならない。」(P.136)
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by beertoma | 2005-08-26 05:29 | 読書


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