「思想なんかいらない生活」 勢古浩爾

a0034898_23412875.jpg思想なんかいらない生活
勢古 浩爾 / 筑摩書房
スコア選択: ★★★★


全体の7割がインテリ批判。現在の日本で思想家や哲学者として流通している人を取り上げて、その思想を、ふつうに生きていく上でいかに役に立たないかという観点から批判している。漫談のような語り口調で読みやすい。面白おかしく書かれているので何度も笑ってしまった。例えば、難解なことで知られる柄谷行人の文章を引用したあとこう続く。

「何とでも呼んでくれ。どうだろうか。柄谷行人、大まじめである。自慢ではないがチンプンカンプンである。ところがランナーズ・ハイというものがあるように、これらのチンプンカンプンの文章を読んでいると、なにやらそのチンプンカンプン性にある種の快感を感じてきて、いわばチンプンカンプン・ハイに陥りそうになるのだ、ということは絶対にない。わはは。」

こういった調子でいろんな人の文章が引用され、斬られていく。その根っこにあるのは次のような叫びである。

「思想を厳かに語る者たちよ。 (中略) 「本気」になって考えてもらいたい。諸君たちにとって、「思想」とはほんとうはなんなのか。その「思想」と「俗」はどう関係しているのか。いったい誰のための「思想」であり、それはなんの役に立つのか。その俗から「思想」は「訣別」する、とかっこいいこといって終わりか。」


残りの3割は、思想のいらない生活とはどのようなものであるか、つまり、著者の考える「ふつう」の生き方とはどのようなものであるかについての説明である。この部分になるとわかりにくくなってくる。論旨が一貫していないので読みづらい。一貫しているのは著者のテンションだけである。複数のエッセイを区切らずにくっつけたような内容で、気がつけば次の話題に移っている。「ふつう」というモチーフだけが時おり思い出したように奏でられている。それを味わえということか。それとも前半で語られていた、柄谷や蓮實を読んだときのイライラを読者にも味わわせようとしたのか、とまで言いたくなってくる。

以下は、読みながら思い浮かんだことなど。

▼ 私には思想なんていらない、と言っているがなぜそれがわかるのか。あと30センチ掘れば石油が出てくるかもしれないのに。そこで引き返してどうする。あーあ。
▼ ひょっとして、今は一休みしたいだけではないのか。いつの日かごっつい思想書を出版したりして。
▼ 語り口調で笑いを入れたのも、最後の部分が雑に思えるのも、「どこまで本気で言っているのだろうか」と思わせるためか。前半の毒を中和しようとしているのか。
▼ 激しい調子の文章も多い。「無意味を意味として生きる」ということを感情レベルで納得していれば、もっと穏やかな文章で書けるのではないか。
▼ 細かいツッコミをひとつ。「TOKIOというジャニーズ系のグループ」という表現があった。「ジャニーズ系の」という修飾語句は、主として男子の顔面を形容するときに使われる言葉ではないのか。サザンオールスターズというアミューズ系のグループ、フットボールアワーという吉本系のコンビ、ちゃっきり娘という松竹系のトリオ。
▼ そういえば、ふつうが一番いいという思想は「男女七人夏物語」で池上季美子が大竹しのぶに言っていた。恋愛のことだったけど。
▼ 「ふつう」は結果としてあるもの、過去を振り返ったときにのみいえるものであって、これから先をふつうでいく、とはいえないのではないだろうか。目指すべきものではないような気がする。
▼ 自分がこの先もずっと「ふつう」であることをどうやって確認するのか。比較の対象としてふつうでないものが必要ではないのか。つまり、ふつうであり続けるためにはふつうでないものを消費し続けなければならないのではないか。右みて左みてをしないと道の真ん中は走れない。

紹介されている本も多く ブックガイドとして読むこともできるので、著者のネタを鵜呑みにせず批判的に読めば得るところが大きい本だと思った。
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by beertoma | 2004-08-01 23:50 | 読書


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