極上以上

某月某日

立花隆氏の文章について悩む。
先日読んだ、エリック・ホッファー「構想された真実」の帯に書かれていた文句である。

「・・・・その一つ一つが、まるで極上の短編小説以上の仕上がりになっている。」

問題点は2つ。
(1)「まるで極上の短編小説以上の仕上がり」という表現はおかしくないのだろうか。「以上」を省いて「まるで極上の短編小説の仕上がり」とするか、あるいは「まるで」を省いて「極上の短編小説以上の仕上がり」とすべきではないのか。

(2)「極上の」の「極」であるが、これは短編小説界のほとんどてっぺんに位置するという意味ではないのだろうか。それ以上の仕上がりってどういうことだろう。

内田義彦「 読書と社会科学 」(岩波新書)に「本を読んでいておかしいなと思ったときは「信じる」ことが大切である」とある。「信じる」の説明としてこう続く。
「一つには、ここにはたしかに私にこう読めることが書いてあるけれど、それはどうしても変だという、自分の読みに対する信の念が。そしていま一つ。Aさんほどの人が出たらめを書くはずがないというかたちでの、著者に対する、これまた信の念が。」

著者に対する信の念を発動して、帯の文章が正しいと仮定し考えてみる。

すると、短編小説の世界では「極上」という階級のそのまた上に、「超極上」という階級があるということになる。
すると、「極上の~以上」は「超極上の」という意味であると解釈できる。先ほどの表現を置き換えてみるとこうなる。

「・・・・その一つ一つが、まるで超極上の短編小説の仕上がりになっている。」

そういうことだったのか。
こういう揚げ足取りを書くと、肛門極小野郎だと思われるんだろうな。仕方ないけど。
[PR]
by beertoma | 2004-08-06 00:38 | 読書


<< 畠山氏とナカライさん 3 畠山氏とナカライさん 2 >>