「大いなる眠り」 レイモンド・チャンドラー

a0034898_16231911.jpg某月某日

チャンドラーの「大いなる眠り」を読む。フィルムノワールの傑作「三つ数えろ」(監督:ハワード・ホークス)の原作。この映画は、もちろんとても楽しめる作品であるのだが、私の中では何故か「フィリップ・マーロウ = ロバート・ミッチャム」で固まってしまっているので、H・ボガートのマーロウに引っ掛かりを感じっぱなしであった。

原作にも引っ掛かりを感じた箇所があった。マーロウが江戸っ子のような話し方をするのである。例えば、

隣のコーヒー店のにおいが、煤といっしょに窓から流れ込み、私の空腹をさそうようにただよった。私は机からびんをとりだし一杯ひっかけ、腹は減ってもひもじゅうないと見得をきった。 (P.156)

「このとんちき」彼女は叫んだ。
「さよう。拙者はすこぶるりこう者でござる。(略)」
(P.268)

といった具合である。

なぜこのような文体が流通していたのか不思議である。翻訳は双葉十三郎、初版は1959年。当時はこういった訳し方でも受け入れられたのだろうか。
ひょっとして、訳者も読者もサイレント映画を経験していたからなのかな。たしか、サイレント映画では弁士がそれぞれ独自のしゃべり方で解説していたはずである。ガイジンが江戸っ子口調で会話することなどありふれたものだったのかもしれない。だから、こういう文体でも違和感なく読めたのではないか。

ストーリー展開も平均的なミステリのペースで進み読みやすかった。言い換えれば、チャンドラーらしさは「長いお別れ」に比べて少ないのかもしれない。
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by beertoma | 2004-08-16 16:27 | 読書


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