カテゴリ:読書( 43 )

『八番目の小人』 ロス・トーマス

a0034898_5115347.jpg八番目の小人
ロス・トーマス 藤本和子 訳 / ミステリアス・プレス
ISBN : 415100002X

<ストーリー紹介>
(裏表紙の紹介文より)

戦時中ドイツで行方不明になった富豪の息子を捜し出せ ― 金儲けのために手を組んだ元OSS大尉ジャクソンと小人の悪党プルスカーリュ。しかし二人の追うその息子とは、米英ソ三国がそれぞれの思惑で必死に捜索中の凄腕の暗殺者だった! 第二次大戦直後の混乱のドイツに展開する追跡劇 ― クライム・ノヴェルの最高峰が贈る傑作長篇


<感想>
『女刑事の死』とはかなり違った味わいのミステリだった。
いちおうの主人公は元OSS大尉のマイナー・ジャクソンであるが、内容はどちらかといえば群像劇にちかい。暗殺者である富豪の息子と米英ソの追っ手たち、それぞれが魅力的に描かれていて、全員に肩入れしたくなってくる。
終わり方もいい。読んでいる途中では「一人一人をしっかり描くことでクライマックスを大げさに盛り上げようとしているのか? 最後が盛大なドンパチになるのはイヤだな」と心配していたが、まったくの杞憂に終わった。派手すぎず・地味すぎずのスマートなラストで読後感も爽やか。
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by beertoma | 2006-03-12 05:26 | 読書

『影の護衛』『マクシム少佐の指揮』 ギャビン・ライアル

a0034898_524511.jpg影の護衛
ギャビン ライアル Gavin Lyall 菊池 光 / 早川書房
ISBN : 4150710589

a0034898_5172315.jpgマクシム少佐の指揮
ギャビン・ライアル 菊池 光 / 早川書房
ISBN : 4150710597

<ストーリー紹介>
(裏表紙の紹介文より)

『影の護衛』
ダウニング街の首相官邸に手榴弾が投げ込まれた。犯人はすぐに逮捕されたが、男の真の狙いは、高名な軍事理論家タイラー教授の秘密を法廷で暴くことにあった。教授は欧州核戦略会議の議長を務める人物だ。場合によっては国際問題にも発展しかねない。ひそかに調査を始めたマクシム少佐は、やがて政府を根底から揺るがすような驚くべき真相に突き当たる。冒険小説の雄が挑んだ初のスパイ小説。マクシム少佐シリーズ第一弾

『マクシム少佐の指揮』
マクシム少佐のもとにSAS時代の部下が助けを求めてきた。情報部の者と名乗る女に請われて護衛を引き受けたが、銃撃戦に巻き込まれ、民間人を射殺してしまったという。公式の任務ではないから軍にも戻れず、捕まれば殺人と無許可離隊の罪は免れない。元部下を救うため独自の調査をはじめたマクシムは、やがて東ドイツの大物政治家の秘密をめぐる非情なスパイ戦の渦中へと。冒険小説の巨匠が放つ白熱のシリーズ第二作



<感想>
『影の護衛』は、原尞が「英国ハードボイルドの第一級の作品」と解説に書いていたのでかなり期待したが、ストーリーの展開がゴツゴツしていたのと、マクガフィンであるべきタイラー教授の秘密がヘンにクローズアップされていたのとで、あまり満足できなかった。

ところが二作目の『マクシム少佐の指揮』。こちらのほうは、ストーリーの展開はスムースだし、クライマックスでは見せ場たっぷりだし、主要な登場人物たちとは顔なじみになっていることもあって、大いに楽しめた。
(読書を中断しているときでも、「(次の読書時間には)また、あの世界に戻ることができる!」と思うだけでテンションが上がった)

いったん気に入ってしまうと不思議なもので、否定的に思っていた一作目も、パラパラと読み直してみて、かなり面白かったような気がしてきた。(部分部分ではたしかに面白い)

「面白かった」「面白くなかった」の印象なんて、心の持ち方ひとつでガラッと変わってしまう。
ということを、またまた思い知らされました。
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by beertoma | 2006-03-12 05:25 | 読書

『1ドル銀貨の遺言』 ローレンス・ブロック

a0034898_619722.jpg1ドル銀貨の遺言
ローレンス ブロック 田口 俊樹 / 二見書房
ISBN : 4576881663

<内容紹介>
(裏表紙の紹介文より)
アル中探偵マット・スカダー・シリーズ
たれ込み屋のスピナーが殺された。その二ヵ月ほど前、彼はスカダーに一通の封書を託していた ― 自分が死んだら開封してほしいと言って。そこに記されていたのは彼が三人の人間をゆすっていたこと、そしてその中の誰かに命を狙われていたことだった。スカダーは犯人を突き止めるため、自らも恐喝者を装って三人に近づくが……。
ニューヨークを舞台に感傷的な筆で描く人気ハードボイルド。アル中探偵マット・スカダー・シリーズ。

<感想>
シリーズの第三作で、このときはまだアル中にはなっていない(たしかに、酒は良く飲んでいるが)。 ちなみに、『八百万の死にざま』は五作目で、そこで初めてスカダーがアル中であることが明らかになる。
酒との闘いもないし、プロットにヒネリもないし、登場人物たちもイマイチ魅力に乏しいし。まあ、長編というには短すぎるので(『八百万…』の1/3か1/4くらい?)、仕方ないのかもしれませんが。
シリーズ第三作というよりは、マット・スカダーの出てくるちょっと長めの短編という感じ。


「ウェイターが飲み物を持ってやって来た。私はバーボンをひとくち口に含み、コーヒーを1インチばかり飲み、バーボンの残りをコーヒーに混ぜた。そうやって飲めば疲れずに酔うことができる。」(P.67)

これが本当ならスゴイ裏技だ。ぜひ試してみよう。
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by beertoma | 2006-02-28 06:28 | 読書

『八百万の死にざま』 ローレンス・ブロック

a0034898_5313179.jpg
八百万の死にざま
ローレンス ブロック 田口 俊樹 / 早川書房
ISBN : 415077451X

<内容紹介>
(裏表紙の紹介文より)
キムというコールガールが、足を洗いたいので代わりにヒモと話をつけてくれという。わたしが会ってみると、ヒモは意外にもあっさりとキムの願いを受け入れてくれた。だが、その直後、キムがめった切りにされて殺された。容疑のかかるヒモの男から、わたしは真犯人探しを依頼されるが……
マンハッタンのアル中探偵マット・スカダー登場。大都会の感傷と虚無を鮮やかな筆致で浮かび上がらせ、私立探偵小説大賞を受賞した大作。


<感想>
主人公がアル中であるという設定。事件解決に向けての闘いとアルコールとの闘いとの二本立て。
脇役たちに魅力的な人物が多く、作者の”うまさ”を感じる作品。

ただ、小説内部のすべてのことを作者がコントロールしすぎているような印象も受けた。
(書いているうちに登場人物たちが勝手に動き出さないように、当初の予定とは異なった方向へと物語が進まないように、コントロールしすぎている)

上手いし面白い、でも、もうちょっと引っかかりみたいなものが欲しい。
(小説を読むスピードとの関連でいえば、速く読んでこそ楽しめる一品なのかもしれません)
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by beertoma | 2006-02-27 05:46 | 読書

『女刑事の死』 ロス・トーマス

女刑事の死
ロス・トーマス 藤本 和子 / 早川書房
ISBN : 4151756019

<内容紹介>
(裏表紙の紹介文より)
刑事だった妹が自動車に爆発物を仕掛けられて殺された。誰が、何のために? 上院の調査監視分科委員会で顧問を務める兄のベンジャミンは、真相を探るため帰郷した。分科委員会から受けた重要な使命を遂行しつつ、彼は事件の調査を始める。やがて謎に満ちた妹の私生活が明かされるが……
鮮烈なサスペンスが貫くアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作。

<感想>
久しぶりにミステリが読みたくなり、手近にあったこの本を発作的に読み始めた。刑事である妹を殺された主人公が、その死の謎を解明しようとする物語。ミステリ腹が空いていたのか、一気に読了。評判どおりの面白さだった。

ただ、ちょっと、「わからない感じ」「スッキリしない感じ」も残った。
何なんだろうこの感覚、と思っていたところ、次のような文章に出会いました。

「もともとロス・トーマスの小説は少しでも速く読了することが目的であるような忙しい読書には向いていない。もちろん、小説というものは、本来休みなしに一気に読んでもらうことを期待して書かれている。しかし、慌ただしい読書の仕方では、そこから何か際立った特徴を引き出そうという がさつな読書習慣が生まれる。際立った特徴をもつ小説というのは、おおむねへたな小説である。」
(「ロス・トーマスの魅力」 原尞 『ハードボイルド』 早川文庫 P.86)

むさぼり読みをしてしまったのが敗因のようです。
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by beertoma | 2006-02-19 06:42 | 読書

『すべてがFになる』 森 博嗣

すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER
森 博嗣 / 講談社
ISBN : 4062639246

<ストーリー紹介>
裏表紙に記載されていた内容紹介より。

「孤島のハイテク研究所で、少女時代から完全に隔離された生活を送る天才工学博士・真賀田四季(まがたしき)。彼女の部屋からウエディング・ドレスをまとい両手両足を切断された死体が現れた。偶然、島を訪れていたN大助教授・犀川創平(さいかわそうへい)と女子学生・西之園萌絵(にしのそのもえ)が、この不可思議な密室殺人に挑む。新しい形の本格ミステリィ登場。」


<感想>
・「天才」「少女時代から完全に隔離された生活」「孤島のハイテク研究所」という現実感に乏しい設定であったため、オチも非現実的なものを予測してしまった。
私が予想したオチとは、
「真賀田四季がその天才を存分に発揮して、天才ロボットを開発。そして、そのロボットに自分の脳味噌を取り出させ、ハイテク研究所のコンピューターと接続。真賀田博士はハイテク研究所(の頭脳)になりましたとさ」
というもの。
ところが、トリックはストレートなものだった。驚愕。

・文章やキャラクターがサラサラ過ぎる。もうちょっとデコボコしてもいいのでは? と思った。


新本格(っていうんでしょうか?)というジャンルに馴染みがなく、その約束事がわかっていなかったため、戸惑ってしまいました。
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by beertoma | 2005-10-15 06:10 | 読書

『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』 佐野 真

和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか
佐野 真 / 講談社
ISBN : 4061497960

タイトルが『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』、しかも講談社現代新書の一冊ということなので、和田の投げる球がなぜ打ちにくいのか、を科学的に解説した本だと思っていたのだが、その予想は大きく外れた。

第一章は、2003年日本シリーズ第7戦のことからはじまる。ダイエー先発和田の立ち上がりを攻めきれず、阪神が敗れてしまった試合である。あの忌まわしい試合から書き始めたということは、「この本は阪神ファンを拒絶する!」という著者からのメッセージかと一瞬ムッとしたが、今はリーグ優勝を決めた直後である。寛大な気持ちで読み進んだ。

およそ全体の7割が、和田毅の半生を描くのに費やされている。
両親、アマ時代の恩師やチームメイトにインタビューを行ない、それを基にして、彼の送ってきた野球人生が再構成されていく。
中学・高校・大学と野球を続けていく過程で、その独特の投球術をいかにして編み出していったのか。どういった態度で練習をしてきたのか。何を考えながらピッチングをしていたのか。

(和田様。やはりあなたも、徹底した自己管理、練習熱心、負けず嫌い、の人なんですね。)

残りの3割で彼の投球を分析しているのであるが、ここの部分は調査不足であるように思った。
機械を使った測定などは一切行なわず、周りの人や対戦したバッターなどの証言だけで結論を導き出している。また、和田がプロに入ってから対戦したバッター(つまりは、我々が知っているような選手)の証言は含まれていない。
例えば、タイトルが『和田毅 130キロ台のストレートで三振をとる男』であるのなら、こういったやり方でもいいのかもしれないが、『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』と大見得をきったのであれば、それに相応しい解説がほしかった。(講談社現代新書というブランドもあるし)


と、否定的な感想を書きましたが、内容が興味深く、文章もたいへん読みやすいので、一気に読み終えてしまいました。

著者にはこのあとも引き続いて、『下柳の130キロ台はなぜ打ちにくいか』 『クルーンの160キロ台はなぜ打ちやすいか』 『金本は37歳なのになぜあんなに元気なのか』 『明石家さんまは50歳なのになぜあんなに喋るのか』 を執筆していただきたい。
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by beertoma | 2005-10-12 05:32 | 読書

『ゾウの時間 ネズミの時間』 本川 達雄

ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学
本川 達雄 / 中央公論社
ISBN : 4121010876

<内容紹介>
「サイズの生物学」とサブタイトルがあるように、サイズという観点から動物の体のしくみを解説した本。

まずは、動物は大きさに応じて異なった時間の中を生きているという話から始まる。簡単に紹介すると、

動物のサイズが変われば時間も変わる。つまり、サイズ(体重)を物差しにして動物を見ていけば、それぞれの動物には固有の時間があることがわかる。
一般に、ネズミなどの小動物は寿命が短く、ゾウは長い(ネズミは数年、ゾウは約100年)。 ただし、これは物理的な時間でみた場合であって、生理的な時間、たとえば心臓の鼓動時間でみれば、どちらも一生の間に打つ回数は約20億回と一定である。呼吸をする回数も一生で約5億回と一定である。

「もし心臓の拍動を時計として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるだろう。小さい動物では、体内で起こるよろずの現象のテンポが速いのだから、物理的寿命が短いといったって、一生を生き切った感覚は、存外ゾウもネズミも変わらないのではないか。」(P.6)

以下、サイズと移動方法の関係、サイズと内部器官の関係、なぜ車輪で移動する動物がいないのか、棘皮動物(ウニやヒトデなど)はなぜ生き延びることができたのか、などなど。

著者の根本的な考え方はあとがきに示されている。以下のとおり。

「サイズを考えるということは、ヒトというものを相対化して眺める効果がある。私たちの常識の多くは、ヒトという動物がたまたまこんなサイズだったから、そうなっているのである。その常識をなんにでもあてはめて解釈してきたのが、今までの科学であり哲学であった。」(P.221)

「おのおのの動物は、それぞれに違った世界観、価値観、論理をもっているはずだ。たとえその動物の脳味噌の中にそんな世界観がなくても、動物の生活のしかたや体のつくりの中に、世界観がしみついているに違いない。それを解読し、ああ、この動物はこういう生活に適応するためにこんな体のつくりをもち、こんな行動をするのだなと、その動物の世界観を読みとってやり、人間に納得のいくように説明する、それが動物学者の仕事だと思うようになった。」(P.220-221)


<感想>
これまで読んだ中で、読書中にスタンディング・オベーションをしたくなったのはどの本だったかと考えていて、思いついた一冊がこれです。
(新書としては)ベストセラーでロングセラーなので、大きな本屋では未だに平積みされているようです。

一生の心拍数や呼吸数がネズミもゾウも同じという箇所を読んだときには、「すごいことを知ってしまった」と興奮して鼻血が出そうになりました。

今回、この投稿のために再読しました。最初は、赤線をひいた箇所だけ読み返すつもりでしたが、気がつくと全部読んでました。
扱っている内容が興味深いというのもありますが、それよりも、著者の説明がとても上手で、ついつい読まされてしまうからだと思います。
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by beertoma | 2005-09-09 05:03 | 読書

本を読んでスタンディング・オベーションをしたくなるとき

『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』(蓮實 重彦)に以下のような記述がりました。

蓮實  黙って見に行って、とても人間とは思えない凄いプレーを見て気が狂いたいんですね、われわれは。映画にしたって、スポーツにしても。
渡部  小説もそうですよ。一瞬でもいいから、見たり読んだりした途端にもうこのまま人でなくなり、言葉を失ってその場でへたりこんでしまうような体験をしたいから、辛抱して現場に接しているわけですもの。
(P.216)

たしかにスポーツには、「おぉーっ!」と声をあげてしまうような一瞬があり、そういった場面に遭遇すると興奮して血が逆流しそうになります。

すぐに思い浮かぶのは、いつだったかの中国との親善試合で、中田が名波に出したスルーパスです。たしか、ペルージャに移籍した最初の年で、ヴェネツィアに行った名波ともどもこの試合のために呼び戻されたと記憶しています。
センターライン付近にいた中田がゴール前の名波に左足で出したパスは、そりゃもう見事なもので、中国のディフェンダーたちが次々と繰り出す足をあざ笑うかのようにすり抜けて、名波のもとへと届きました。(そのあと名波がミスをしてゴールには至りませんでしたが)


読書をしていてもそういう一瞬があります。「言葉を失ってその場でへたりこんでしまうような体験」とまではいきませんが、「おぉーっ!」と声をあげそうになったり、スタンディング・オベーションをしたくなったりします。「なるほどー。世の中のしくみはそういうことになっとるんですかー」とため息が出そうになることもあります。「目から鱗が落ちる」というのも、この系列に属する心の動きでしょう。


たとえば、『ハズレ馬券クリニック』(田端到著 光文社刊)という本に収録されている「五輪に学ぶ競馬観」というエッセイを読んだときもこの感覚に襲われました。引用してみます。

「その3。スピードスケートの清水宏保がインタビューで「35秒台と36秒台では、滑っていてどんな感覚の違いがあるのか」と聞かれて「うーん、感覚的なことはあまり言いたくありません。言葉にしてしまうと無意識下のものが意識下に置かれてしまう・・・・・・」と答えている(『ナンバー』より)。右脳でとらえている感覚を言語化すると左脳の領域になってしまうからそれは答えたくなくない、と。
これ、わかる気がするなあ。馬券のウンチクも同じ。たとえば「この血統にはこういう特徴がある」といった、感覚的につかんでいることを言語化してしまうと、たちまち自分の中でズレが生じてしまい、せっかくつかんでいたイメージが崩れてしまうことがよくある、って、そういう低次元の話と一緒にしちゃいけませんか、いけませんね、はい。」(P.105)

正確には、このエッセイではなくここで引用されている清水宏保の発言に「おぉーっ!」となってしまったのですが、この、「言葉にしてしまうと無意識下のものが意識下に置かれてしまう(から、言葉にしたくない)」という考え方は私にとって新鮮でした。映画や本の感想を書くときに、鑑賞時に感じていたことを思い出しそこから言葉をひねり出すという方法をとっていますので、無意識下のものを意識下にするのは完全に良いことだと思い込んでいたからです。
私とは意識であり、文章を書くのも意識である。よって、意識化は正義。意識化は良いことずくめ。そう信じて疑わなかった脳にとって心地よい衝撃でした。


ただ、この、「文章を書くのも意識」という考え方も、必ずしもそうでない場合があるということを最近知りました。

音楽評論家・中山康樹とその仲間たちの文章が発表されているサイト www.nkym.net : Read NKYM!(ナカヤマを読め)に掲載されている氏のエッセイ Read NKYM! : Nakayama Vol.25 にこういう箇所がありました。

新書1冊分の原稿(約300枚(12万字))を2週間弱で書き上げた、という内容に続いての部分です。

「それでもなんとか間に合ったのは、パソコンのおかげだ。手書きでは進行上、絶対に間に合わないし、そもそも肉体的にもたない。ただしそれでもキツかった。首から背中にかけて電流が走るような感覚がしばしば襲い、腰も痛くなってくる。それに一種のトランス状態に陥り、自分がなにを書いているのかわからなくなる。ただしそういうときでも書きつづけたほうがいいことを過去の体験から得た。翌日読み返してみると、不思議なことに辻褄が合っていたりする。ようするに考えて書いても考えずに書いても結果 はさして変わらないということか。」

ただ単に、氏が発作的な健忘症で、意識で書いたという事実をすぐに忘れてしまった、という可能性も捨て切れませんが、こういう境地もあるのだなあと感心した次第です。

(ある作業が意識的なものか無意識的なものかの判断を、記憶しているかどうかで下しているのが間違っているのかもしれませんが)
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by beertoma | 2005-09-08 04:56 | 読書

『言語表現法講義』 加藤 典洋

言語表現法講義
加藤 典洋 / 岩波書店

<内容紹介>
大学で「言語表現法」という授業を受け持つ著者が、その紙上編として書き下ろした本。実際の授業は、学生に800字程度の文章を書かせ、それを皆の前で読ませた上で講評するというやり方で行なわれているが、この本もその形式で書かれている。

著者の立場は「書くというのは考えることの一つの方法であり、書くことを通じて何事かを知るのだ」というもの。であるから、これは「書くことについての本」であると同時に「考えることについての本」でもある。

印象に残った著者の考え方を、自分なりの言葉でまとめると以下の通り。

・自分の内なる声を大切にせよ。そこをスタート地点にせよ。内なる声(実感)を世間の常識で押し潰すな。
・文章を書くときに(頭の中で)無意識に実行してしまっていることを再点検せよ。
・簡単に結論を出して安心しようとするな。不安であってもあやふやな中で考え続けることも大切だ。
・いい文章かどうかを判断する基準は自分の中にしかない。

・「問い」に対して、ただ単に答えを見つけようとするのではなく、どういう状況でその問いが発せられたか、なぜその問いが出てきたか、問うことで何をしようとしているのか、といったことにまで思いを馳せよ。

・自分が当事者でない(社会)問題について書く場合、その問題との関係において自分がどのような当事者であるのか、を考えよ。

・「書けないこと」と「書かないこと」が文章にキレとコクを出す。
・文章を書こうとするとき、頭の中で起こる反応で利用できないものはない。「書くのイヤだなあ」という、障害になると思われるようなことでさえも、うまく利用すれば文章に厚みを持たせることができる。無意識という、簡単にはコントロールできないものと上手に付き合えば、いい文章が書ける。


・以上のことは「どうしても守らなければならないこと」ではない。書くのが面白い、というのが一番大事。


<引用>
「皆さんはよく、わからないと書けない、わかったら書ける、と考えるのですが、そうして書かれるものは力のないものになりやすい。わかったら、さらに考えて、つぎのわからなさまで到達して、そこから書くことが大事です。といっても、かえって混乱するかも知れませんから、こう言いましょう。わかったら、何がわかったのかを、考えなさい。どんなわからないことがそこでわかったのか、考えて、わからないことにまでいったんその答えを差し戻して、そこから書いてみるのです。」(P.204)

<感想>
すごくタメになる本。おそらく即効性はないが、定期的に読み直して脳に沁みこませれば、考え方が豊かになるのではないだろうか。

読みやすい文章で、何も考えずに受身の姿勢で読んでも著者の言いたいことは簡単にわかる。ただ、表面的な理解を超えて、内容を自分のものにするのはとても難しい。深く理解しようと繰り返して読んでいると、一筋縄ではいかない本だということがわかってくる。こわい。


巻末に基本文献案内があり、そこで松村雄策が紹介されていた。「隠れた文章家として、僕の中で大きな存在。」とコメントがある。
(松村雄策:音楽評論家でギタリストでもある。君はマッキー・ショックを覚えているか?)
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by beertoma | 2005-09-07 04:42 | 読書