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「超ジャズ入門」 中山康樹

もし私が独裁者ならやりたいことはいろいろありますが、その一つは「後藤雅洋、中山康樹の二名は毎月ジャズの入門書を書きおろせ」と命令を出すことです。
コルトレーンが「マイ・フェイバリット・シングス」を何度も何度もレコーディングしたように、ジャズを聴くことの魅力について深く深く文章化してもらいたい。5冊や10冊書いたからって逃がさないぞ。

ご存じない方に簡単に説明しておくと、後藤雅洋(以下敬称略)はジャズ喫茶「いーぐる」の店主で、ジャズについての文章を数多く発表しておられます。ピッチャーに例えれば、右の本格派。正攻法で迫る論調から逃げることは誰にもできません。
中山康樹は元スイング・ジャーナル編集長で、現在は音楽評論家。ピッチャーでいえば、うーんと、思い当たりません。そもそも野球選手というよりプロレスラーに近いかな。試合前にリング上でお香を焚く覆面レスラー。なかなかのテクニシャンだけど、要所要所で観客をあおることも忘れません。まあ、そんな感じの文章を書く人です。
ちなみに、両氏の人柄がよく現れている(と思われる)のは、「ブルーノート再入門」行方均 編(朝日文庫)所収の「ブルーノートの決定的名盤は何か?」という座談会です。


で、今回は、「超ジャズ入門」中山康樹(集英社新書)を読んだ感想です。
最初は違和感を抱いたけれど、しばらくして「ああそういうことなのね」と納得した部分についての話です。

そうなのです、人生がそうであるように、ジャズを、音楽を聴くという行為の本質は、自分が好きな、自分が愛せる「ミュージシャン」と出会うということです。
くりかえしますが、「音楽」ではありません、「ミュージシャン」、あくまで人間です。
もちろん、それは「音楽」にほかなりませんが、いいかえれば、そのミュージシャンが「みえてくる」まで何度も何度もくりかえし聴く、考える、そういう一連の行為を「音楽を聴く」ということだと思います。
」(P.117)

ジャズの聴き方を説明するのに、「ジャズと恋愛は似ている」という比喩が使われています。曰く、好きになった相手のいいところだけを見るのではなく、まるごと全部受け入れろ、と。
ここが違和感発祥の地でした。
恋愛においてはそうなのかもしれませんが、昨日書いた「比喩はしょせん比喩」の定理が発動して、「ちょっとヘンだよ中山ちゃん」と言いたくなったのです。どんなアーティストにも出来・不出来があるから、気に入った作品だけを聴いていればいいのではないのか。そう思いました。

ところが、そんなある日、小林秀雄の「読書について」の一節を思い出しました。

或る作家の全集を読むのは非常にいい事だ。研究でもしようというのでなければ、そんな事は全く無駄事だと思われがちだが、決してそうではない。読書の楽しみの源泉にはいつも「文は人なり」という言葉があるのだが、この言葉の深い意味を了解するのには、全集を読むのが、一番手っ取り早いしかも確実な方法なのである。
(中略)
僕は、理屈を述べるのではなく、経験を話すのだが、そうして手探りをしている内に、作者にめぐり会うのであって、誰かの紹介などによって相手を知るのではない。こうして、小暗い処で、顔は定かにはわからぬが、手はしっかりと握ったという具合な解り方をして了うと、その作家の傑作とか失敗作とかいうような区別も、べつだん大した意味を持たなくなる、と言うより、ほんの片言隻句にも、その作家の人間全部が感じられるというようになる。」 「モーツァルト」小林秀雄(集英社文庫)(P.8-9)

そうか。読書と同じだと考えればいいんだ。「全集を読め」っていろんな人が言ってるしなあ。
と、あっさり納得できたのです。
もちろん、それだけが音楽の聴き方ではないのでしょうが、深く聴くためには通らねばならない道なのかな、と考えを改めた次第です。

なお、この「超ジャズ入門」は平易かつ丁寧に書かれており、いい入門書です。
丁寧すぎるので、私などは「読者に若い女性を想定して書いているんだろうか。それとも、中学の教科書に採用されようという目的なのかな。 あ、わかった。女子大の講師の座を狙っているんだ。」と、邪推してしまいましたが。
by beertoma | 2004-09-30 05:19 | 音楽(JAZZ)


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